魔眼 第七話


(あぁ・・・まただ・・・)
 私は、この感覚を知っている。これは・・・夢?
 カリッサの身体が、ふわふわと浮遊感を感じている。
(最初は・・・ただ心地いい・・・)
 そう、この浮遊感を感じている間は、幸せなのだ。
 だが・・・このあと、何が起こるのかも、カリッサは知っているのだ。
(あぁ・・・あぁっ!・・・来るっ!!)
 カリッサの内側から、何かが彼女の意思を突き上げる。それは、さっきまでの浮遊感を数十倍に強めたような、ものすごい勢いの力だ。
(だめ・・・だめっ!イッちゃダメっ!!)
 そうだ、これは、この力は・・・快感なのだ。
 快感が、うねりを伴って、カリッサの意思を天上へと吹き飛ばそうとしているのだ。
(だめっ!!・・・絶対に・・・だめぇぇぇぇっ!!)
 必死になって、その力に抗う。イッてしまったら、悲しいことが起こるのだ。
 彼女にとって、ものすごく悲しいことが。
 しかし・・・
(あぁ・・・いやっ・・・いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!)
 彼女を光が包み込む。意思が快感に吹き飛ばされたことを悟る。
(あぁぁ・・・あぁ・・・)
 幸せなはずなのに。
 こんなにも気持ちいいのに。
 光の中を、またふわふわと浮遊しながら、カリッサは「それ」が始まらないことだけを祈っていた。
 だけど、またその声は聞こえてきた。
『カリッサ・・・ちゃんとイケたね?』
 確認してくる声。優しくて、力強くて、カリッサはその声を聞くと、胸がきゅうっと締め付けられる。
(違うっ!わたしは、まだイッてないっ!!だから、だから・・・!!)
 その懇願は、声の主には届かない。それも分かっているのに、カリッサは叫んでしまう。
(いやだっ!!いやだっ!!!)
 こんなに近いのに。
 すぐそばにいるはずなのに。
『じゃあ・・・今のことは、忘れるんだよ? カリッサ・・・』
(いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!)
 カリッサは叫んだ。

「・・・・・・カリッサ?」
 目が覚めると、アロワードが覗き込んでいた。
 どうも、うなされていたらしい。
「あぁ・・・いや、なんでもないよ」
 彼の顔を間近で見てしまい、少し照れながら、カリッサは答える。
「また、うなされてましたよ?」
「・・・そう?」
 心配してくれているのだろう、アロワードの言葉に、夢を思い出そうとしてみるのだが、まるっきり思い出せない。
「ん〜・・・覚えてないし。大した夢じゃなかったんだよ、きっと」
 ぱたぱたと彼に手を振りながら、カリッサは勤めて明るく答えた。連日、アロワードを起こしてしまっている自分が恥ずかしくなり、寝袋に潜り込む。
「そうですか・・・疲れてるんですね。ゆっくり休んでくださいね?」
 なおも心配そうなアロワードの声を背中に聞きながら、カリッサは奇妙な動悸を覚えたが、あまり気にしないことにして、再び目を閉じた。

(どうも、こいつと出会ってからのわたしはおかしい・・・)
 翌日、光の街道をアロワードと並んで歩きながら、カリッサは思った。
 この陰気なアロワードという男のおかげで、自分は命を助けてもらえた。
 あの日、カリッサが2匹倒すのがやっとだったオークの、残り4匹を見事な手並みで切り捨てたのを見たときは、この男が詰め所で見せた、あの「嫌そうな顔」の理由が分かったような気がして、自分の力量不足を悟った。
 その上、この男は白魔術も心得ているらしく、気を失ったカリッサが目を覚ました時には、傷跡どころか、戦闘で受けた筈の痣一つ、カリッサの体には残っていなかった。
 そして、カリッサは自分の心にぽっかりと空虚なものを覚えたのだ。
 だから、もう兵士を辞めようと思っている。なんだか、自分はこの男を超える事さえ出来そうに無い。
 そんな彼女の心理を見透かしたかのように、アロワードはあの後、襲い来る敵を一人で迎え撃っていた。
 まるで、自分を守ろうとしているようなその姿を眺めながら、カリッサの心には、いつも奇妙な苛立ちのようなものが渦巻くのだ。
(戦いたい・・・って訳じゃないんだよなぁ・・・)
 その苛立ちの意味がわからないのだ。
 正直に言って、あんな恐怖を味わうのなら、もう兵士なんかやっていられないと思う。
 だから、アロワードが剣を抜くと、カリッサの足は自然と後ろに下がるようになってしまった。彼の剣技は疑う余地も無い。彼に頼ってしまっている時点で、兵士失格だ。だから、苛立ちの原因はこれではないはずなのだ。
(あれから、毎晩悪夢でうなされてる・・・みたいだし)
 恐らく、オークに襲われたときの夢でも見てしまっているのだろう。
 起きた時に、毎回どんな夢だったのか思い出そうとするのだが、断片すら思い出せた事はない。
(あーもぉ、いらいらするなぁっ!)
 何かがおかしい気がするのだが、それが何なのかがわからない。
「もうすぐ、テラルスの守備領域に入れそうですね」
 そんなカリッサの表情を見かねたのか、アロワードが明るく声を掛けてくる。
「何でそんな口調なんだよっ!!」
 瞬間、カリッサは自分でも思いがけない台詞を吐き出した。
「・・・え?」
「・・・いや、すまん・・・なんなんだろうな、まったく・・・」
 なんだか、驚いたというよりも、信じられないようなものを見るようなアロワードの、妙に真剣な表情を見て、カリッサは溜め息をついた。
(ホント・・・どうしたっていうんだ、わたしは・・・)
 自分で怒っておいて、何でそんな事で怒ったのか、まったく自分が理解できない。
「えーっと・・・」
 そんなカリッサに、困ったようにアロワードが語りかけてくる。
「とにかく、今日の夕方には、イグリアの守備領域を出ることが出来ますよ。そしたら、あなたはもう、兵士を辞めることが出来る」
「あぁ・・・」
 アロワードの言うとおりだ。
 オーク襲撃の二日後、彼らは次の詰め所に着いた。そこで、カリッサは申請をしたのだ。今回の任務終了で、自分は兵士を辞めると。
 もともと、光の街道に女性の新米兵士は辛すぎると考えていたのだろう。その詰め所の所長は、すぐに手続きを約束してくれた。
 ただ、カリッサは、是非、この任務だけは最後まで自分でやり遂げたいと申し出た。
 自分でも奇妙だと思ったのだが、それだけはどうしても譲れなかった。
 結果、詰め所間の連絡は魔術師が取り持ってくれて、イグリアを抜けてテラルスの領域の最初の詰め所までアロワードを送り届けたなら、彼女は兵士を引退する、ということで、ようやく話がまとまったのだ。
「なぁ・・・」
 そんなことを思い出しているうちに、またカリッサは、自分では思いもしない問いを、アロワードにしてしまっていた。
「あんたは・・・テラルスに入ったら、どうするんだ?」
 正確には、テラルス国に入国するわけではない。だが、ニュアンスは似たようなものだ。
「僕は・・・とりあえず、トーランガに登ります」
「そっか・・・あのさ・・・」
「・・・はい?」
「・・・いや、なんでもないよ・・・」
 どうして、一緒に行っていいかと聞きたがる自分がいるのだろう?
 自分の感情を「忘れている」カリッサには、分からないのだった。

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