魔眼 第四十四話


 ・・・ちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ・・・
「・・・ふっ・・・くぅっ・・・っ!!」
(これは、儀式・・・)
 彼女は、目の前で繰り広げられる陵辱劇を、目を逸らすことなく見つめていた。
 憎んでも憎みきれない、彼女の敵。そして、彼女の最愛の主でもある、男。
 その男が、新たな獲物を見つけたのだ。
(フラン・・・)
 男に貫かれ、必死に、込み上げてくる快感から逃れようと、身を捩じらせ抵抗している娘の姿が、彼女自身のそれと重なる。
(これは、儀式・・・堕ちた私への、最後の罰・・・)
「くくっ、頑張るじゃないか! ほら、これならどうだっ!」
「んぁあっ!! いやぁぁぁっ!!」
 男が大きく腰を引き、一気に打ち込む。ぱんっ、と、小気味良い音が立ち、娘が首を振って絶叫する。
 その全てが、彼女を過去へ引き戻し、暗い後悔のハンマーで叩きのめす。
(・・・・・・っ!!)
 ぎりっ、と音を立てて、奥歯が鳴った。逸らしかけた目を、意志の力で無理矢理戻す。
(目を逸らしてはダメ・・・これは・・・)
 ・・・罰なのだから。
 男から与えられる快楽に抗えず、怨嗟の鎖を、フランへと繋いでしまった、彼女の罪の。
(もうすぐ、夜が明ける・・・)
 それで、彼女への罰は、終わるはずだ。
(すべてが、灰になって・・・消える・・・)
「あ、あ、ああ、ああああっ! ダメ、ダメ、もう・・・いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 フランの叫びと、男の哄笑を聞きながら、彼女の思考は過去へと遡って行った。


「男の血は、お前が吸え」
 吐き捨てるように、吸血鬼が言う。
 それまで、まったく動かずに吸血鬼の後ろに身を潜めていた影が、その言葉に応えて、初めて動いた。
(まさか・・・!!)
 村娘風の格好をしたその女性を、エリスは人質だと思い込んでいた。
「・・・ふん。あの村長も・・・冒険者を送り込んでくるとはな。・・・まぁいい、後で村ごと消してしまおう」
 面白くもなさそうに、吸血鬼が呟く。
「・・・ぐっ!!」
(マイス!!)
 仲間の戦士の首筋に、村娘の・・・レッサーヴァンパイアの牙が、噛み付く。
(マイス!・・・マイスッ!!)
 叫びたい。が、身体が動いてくれない。
 駆け出し、ヴァンパイアを撥ね退けたいのに。
 徐々に、戦士・・・マイスの瞳が、虚ろになっていく。
 そして――暗く、紅く――彼が、別のものに変化していくのを、その瞳が如実に語っていた。
(お願い、動いてっ!!)
 願いは、声に出すことさえ出来ない。
 気が狂いそうだった。
 目の前で、次々と仲間が堕とされていく。
 それを、助ける事すら出来ない・・・
(マイス・・・フィーロ・・・オルフ・・・)
 もうすでに、三人の瞳が、紅く輝いている。
(コーレル、逃げて! 早く逃げてっ!!)
「っ!! あっ、うわっ!!」
 魔法は、意志の力で万物の中に眠る魔力を、操る力だ。
 最後の瞬間、エリスの願いが、コーレルの呪縛を、少しだけ解いたのかも知れない。
(コーレル・・・!!)
 だが、それだけだった。
 ヴァンパイアの牙は、彼の首筋にもしっかりと食い込んでしまった。
「エリ・・・ス・・・にげ・・・」
 そう呟き・・・彼もまた、人ならざるものへと変化を遂げた。
「終わったか。じゃあ、お前らは村に戻って、村人全員を堕とせ」
 男はそう言うと、一瞬の間をおいて、こう付け加えた。
 ちらり、と、動けないままのエリスを一瞥してからだ。
「そうだな・・・全員堕としたら、全部連れて、またこの洞窟まで戻って来い。だが、中には入ってくるな。洞窟の入り口まで来て、朝までそこで突っ立ってろ」
 そして、エリスのほうを向いて、こう言ったのだ。
「お前に、自分の罪を思い知らせてやろう」
 ニヤリと口元を歪ませて。
「あいつにも飽きてきたしな。冒険者、しかも魔術師か。くくっ・・・意志の力には自信があるんじゃないか?」
 さらに続ける。
「今すぐ行けば、村人だけでも助けられるかもしれないな」
 その台詞は、最後にこう閉じた。
「どうだ、ひとつ、俺とゲームをしないか?」


(なにを・・・?)
 エリスは、男に尋ねたかった。
 だが「黙ってみていろ」という命令が、彼女を縛る。
 もはや、一言一句、男の命令に逆らう事は出来なくなっていた。
 それは、異様な風景だった。
 もうすぐ、夜は明ける。空は白み始めている。太陽が姿をあらわすまで、数分もないだろう。
 エリスは、男と並んで、その洞窟の中から、入り口を見つめていた。
「いいか・・・これがお前らの罪だ。男は不要だ、お前だけが背負え」
 洞窟の外には、100人ほどの村人たち・・・それと、エリスの仲間たちが、立っている。出て行く前に男に与えられた命令を、忠実にこなしているのだ――エリスと同じように。
(あ・・・あの娘・・・)
 そのヴァンパイアの群れの中には、エリスの仲間を噛んだ、あの娘もいた。
「もうすぐだな・・・」
 そう、男が呟いた瞬間だった。
(・・・・・・なっ!!)
 太陽が、顔を出した。毎日繰り返される、ただそれだけの事が――エリスの視界を一変させた。
 声もなく・・・ヴァンパイア達は、さらさらと崩れ落ちていった。
 村人たちも、エリスと一緒に、これまでいくつもの冒険をこなしてきた、大切な仲間達も。
(な・・・んて・・・ことを・・・)
 周りのヴァンパイアが崩れていく中、一人だけ、まだその姿を保っているものがいた。
 あの、村娘風の――恐らくは、エリスの前に、蹂躙され、使役され、従属させられていたのだろう――ヴァンパイアだ。
 彼女だけゆっくりと、苦悶の表情を浮かべ、皮膚は白く変色し、灰になり、少しづつ崩れていく。
 少しづつ、少しづつ、彼女は人の形を失っていった。
(あ・・・あぁ・・・)
 エリスには――その赤い瞳には――見えたような気がした。
 ついに、全てが灰になるその瞬間、彼女の表情が、奇妙に安らいだものに変化したように・・・
「ふん。これで煩わしい連中は処分できたか・・・おとなしく年に一人の娘を差し出し続けていれば、死なずに済んだのにな」
(なるほど・・・そういうことだったの・・・)
 エリスは、笑い出したくなる衝動に駆られた。気が触れたように、延々と笑い続けられれば、この心も少しは救われるのだろうか・・・
 彼女たちは、この村を通りがかった時、村長にこう頼まれたのだ。
『村から娘をさらって行く、山賊を退治して欲しい』と。
 村長の言葉を信じ、命を捨てるには安すぎる報酬で、彼らはこの洞窟にやってきた。
 忌まわしきノーライフキングの息子が、この洞窟にいるとは知らずに。
 そして、これが、その結果というわけだ――


「くくっ・・・イッたんじゃないか?」
 びくびくと痙攣している娘を抱いて、男が顔を覗き込んでいる。
「ち・・・違う・・・」
 娘は、絶望感に脅えながら、それでも抗っていた。
(もう・・・やめてあげて・・・)
 見ているのが辛い。でもそれは、早く自分を解放して欲しいという思いの、裏返しなだけなのかも知れない。
(早く・・・みんなのところへ行かせて・・・)
「くっくっく・・・いいな、お前。そこの魔術師なんかより、よっぽど強い心をもっているようだ」
 男の嘲る声が、エリスの心を深く抉る。
「じゃあ、続けようか。俺もまだイッてない。勝負はまだまだ続けられる」
「・・・う・・・うぅぅ・・・」
 楽しそうな男の言葉に、娘の啜り泣きが重なる。もう、心が折れそうなのだ。
(・・・殺してやりたい・・・)
 エリスの心の中から、男への殺意が消えた事は、ない。
 それなのに、逆らう事が出来ない。悔しさで――悔しさだけで、自分が出来上がっているような、辛い日々だった。
(・・・それも、もう終わる・・・)
 これは、最後の罰だ。この儀式が終われば、ようやく、開放される・・・
 そう、エリスが思った時。
 突然、場違いな声が夜の林に響き渡った。


「やっと見つけたわよ!! なんだかよくわかんないけど、あんたが悪の親玉ね!? 置いてけぼりにされた恨み、はらさでおくべきかーーーーー!!」

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