じくじくと、胸の痛みは続いている。まるでそれは、蛆虫が自分の心臓を這い回り、時に齧り付いている様な、とにかく不快な感覚だった。 だからといって――アロワードは嘆息した――腰に挿している剣で自分の心臓を貫いても、それは無意味なのだ。 (僕が人間になりたがっている理由は、それなのかもしれない) 父であるヴラド――ノーライフキング――から受け継いだ、吸血鬼の属性。左目の瞳が紫に染まる以前から、アロワードは周囲の子供とは違っていた。 ――異常なまでの回復力。 そして、強く願った事が現実になる、不思議な現象――後に、それが魔法の力である事を知った。 「カリッサ・・・」 声に出して呟いてみる。 彼が建てた簡素な墓は、変わらず目の前にあった。 が、それだけだった。 「カリッサっ!!」 今まで落ち着いていたのが不思議なほどの、それは激情だった。胸の奥の蛆虫が、数十匹にいきなり増殖したように、耐えがたい痛みがアロワードを襲った。 「カリッサァァァッッ!!!」 痛みに――そしてそれは、虚しさでもあった――耐えかねて、アロワードはまた絶叫した。 もう、枯れたものだと思っていた涙が、右目から溢れる。じわり、と、左目に湿った感覚を覚え、アロワードは眼帯をむしりとった。 カリッサと過ごした日々は、お世辞にも長いとは言えない。それが悲しかった。 カリッサと心を通わせる事が出来た時間は――沈んだ太陽が、再び昇るよりも短かった。それが、どうしようもなく悲しかった。 「僕は・・・」 嗚咽と共に吐き出した。 「・・・怖いんだ、カリッサ・・・君がいない、それでも続く、永遠の人生が」 アザリーからあの言葉を言われた時――彼女を忘れない為に――アロワードは、忘れる事など出来ないと思っていた。 しかし。 彼には、忌まわしい呪いがあった。 ――永遠の命。 ・・・それは、いつか必ず、彼女の事を忘れてしまうという、冷酷な事実。 ただでさえ少ない思い出が、そしてこの胸の痛みが、永い時に風化させられてしまった時。それは、彼女の存在そのものを、アロワード自身が否定したかのような、錯覚。――故の恐怖。 (そうだ・・・) アロワードは、はっきりと自覚した。 (僕はただ、死にたいんだ) それは、感傷的に「カリッサと共に逝きたい」という様な、単純なものではなかった。いや、言ってみれば、それはもっと単純な感情ではあるのかもしれない。 (カリッサを忘れてしまう前に・・・この悲しみを、偽物にしないために・・・) この激情が、いつか忘れてしまう感情であると認めるのが、アロワードは怖かった。許せなかったのである。 「・・・ははは・・・」 笑いが、漏れた。 ずくん・・・右目が疼く。 (だめだ・・・ここでは・・・カリッサの前では、もうあんな・・・あの時の僕になりたくはない) ずくん・・・それでも、右目は疼く。彼の悲しみが、彼を楽な道へと、いざなうかの様に。 すらり、と、泣きながら、笑いながら、彼は腰の帯剣を抜いた。 馬鹿げた事をしていると、彼自身分かっていながら――それでも、そうせずにはいられなかったのだ――アロワードは、その剣を自分の腹に突き立てた。 そして、彼は知った。 「死ぬほどの痛み」など、「残された痛み」に比べれば、些細なものでしかないということを。 「ちょっ・・・と・・・リュウイ、あなた、その瞳!?」 思わずこぼれたシルヴィの声は、驚きと恐怖の入り混じったものだった。 彼女だけではない、この場にいる全員が――アザリーを除いて――リュウイを凝視していた。 「大丈夫、取り乱さないでくれ・・・ショック療法ってヤツだ」 嘆息と共に、リュウイは答えた。 「アロワード」という名前に、アザリーはまったく反応しなかった。 彼女自身が、アロワードの泊まっていた宿屋の女将に、ガルシアの死は正当防衛だと説明しに行ったはずなのに、である。 (記憶が消されているのは、確かなんだ) イライラと、リュウイは推測する。 (記憶を消すってことは、あの坊やにとって、不都合な事が何かしらあるってことじゃないか!!) リュウイの推理は――単純だからこそ、最悪なルートへと向かっていく。 死んだ盗賊、そして、消えた女戦士。 この、アザリーが泊まっている宿の主人は、アザリーが「村人が消える事件の解決」を請けた、と言っていた。 それなのに、この魔術師は、その事さえも忘れている。 何もかもが、リュウイの推理を正しいと告げているような気がする――ただ一つを除いて。 寝室の鏡を見つめながら、瞳の色を調節する。 アザリーには、隣の居間で待ってもらっていた。 宿の借主を居間に残し、寝室に入る(しかも、女性の、である)のに抵抗を感じたのは事実だが、事が事なだけに「神の手」の威を借りて強行した。 「・・・こんなものかな」 「いや・・・リュウイ、お前・・・」 ごくり、と唾を飲み込んで、ヴィクトが言う。 「安心しろって。俺はヴァンパイアじゃない。目の色をちょこっと変えただけだ。こんな事は、シルヴィにもライラにも出来る事さ」 「え・・・?」 リュウイの言葉に、言われた当の二人が驚く。 (まぁ・・・当然か・・・) そう思いながらも、リュウイは簡単に説明する事にした。 「魔法ってのはな、意志の力だ。万物の中に潜んでいる魔力を、意思によって変質させ、実体化させる。これは分かるな?」 「え・・・ええ・・・」 戸惑いながら、ライラが頷く。 そんな事は、魔法学の初歩の初歩だ。彼女ほどの使い手が今更説明される言葉でもない。 が、リュウイは構わず説明を続けた。 「だから、得手不得手はあっても、ライラだって攻撃魔法は使えるし、シルヴィが回復魔法を使う事も出来る。これは、白魔法も黒魔法も、根本は同じものだからだ。ただ、人それぞれの性格、想像力、トラウマなんかが影響して、使える魔法が異なってくる。例えば、ライラは人を傷付ける事を極端に嫌う性格だから、攻撃魔法を使おうとしても、相手を殺してしまう事が怖かったりして、イメージにブレーキがかかる。だから、黒魔法は苦手だ」 「う・・・」 図星を突かれたのか、ライラがうめく。 「逆に、シルヴィは相手を殺す覚悟もあるし、いざと言う時には巧く攻撃力を制御できる自信もある。が、恐らく回復魔法を使おうとしても、イメージが湧きにくいんだろうな。もしかしたら、過去に回復魔法で大きな失敗でもしたのかも知れんが」 「・・・・・・」 その言葉に、シルヴィはギョッとした表情でリュウイの顔を見返した。 それを、チラッと一瞥しただけで、リュウイはまた口を開いた。 「本来、魔法てのは、ほぼ万能の力なんだ。だが『神の降臨』直後、魔法が誕生したばかりの時、万能だからこそ、魔法による事故が多発した。これはもう、ほとんど忘れられてる事なんだけどな。今でも良くあるだろう? 子供の神隠しってヤツが。もちろん、全部が全部魔法の事故だって訳じゃないだろうが、アレな、半分くらいは、子供が自分で消えちまうんだよ」 「どういう・・・ことです?」 ハーネスが、神妙な顔で聞いてくる。 「子供が神隠しに会う時、よく聞く話がないか?」 リュウイは、逆に聞き返した。 困惑したように、それでも、ハーネスは少し考えると、自信なさげに答えた。 「あの、子供がいなくなった家に、ユニコーンやペガサスなどが良く現れるようになる・・・って話ですか?」 それは、ウラジア大陸全土でよく聞く迷信だった。 子供が突然消えてしまった家族を心配し、神が神獣を遣わし、家族の様子を見てこさせるのだと。 実際に、頻繁にそのような事が起こるため、この話は迷信と言うよりも、事実として、ほとんどの者が受け止めている。 「・・・まさかっ!?」 不意に、ヴィクトが声を上げた。何かを思いついた――いや、思いついてしまったか、の様に。 「その、まさか、なんだよ。子供の純粋な憧れの気持ち、溢れる想像力。それが、ある一定の域まで達してしまった時、何が起こるか」 淡々としたそのリュウイの言葉に、ぞっとした表情でハーネスがうめく。 「でも・・・変身できるほどの力があるのなら、元に戻ることだって・・・」 「ああ、可能な場合もある。が、考えても見ろ、いきなり、何の知識もない子供が変身しちまった時、平静でいられると思うか?」 魔法を使う時の一番の条件は、落ち着いている事、である。 「大抵の子供は、パニックに陥る。色々と試すものもいるかもしれないが、無意識の時よりも、変身する事を意識した時の方が、実は集中ってのは難しい。大半は、そのうち諦める。・・・だが、ユニコーンやらに変身した子供ってのは、まだ幸せな方なんだ」 「どういう意味?」 食って掛かるように、シルヴィが尋ねた。 どうも、先ほどの指摘がまずかったかな、と、内心苦笑しながら、リュウイは答えた。 「その強さに憧れて、猛獣や魔獣に変身してしまった子供たちは、どう思われるか、って話さ。子供が突然いなくなった。片や、突然猛獣や魔獣が現れた。――あの子は、こいつに食われてしまったに違いない」 「な・・・」 ヴィクトは、その内容の凄まじさに、絶句した。 「・・・あー・・・」 ぽりぽりと頭を掻いて、リュウイは言った。 「話がズレちまったな。とにかく、魔法が使われ始めた当初、事故がとても多かった。だから、人間は自ら限定したんだ。使う魔法ってのをな。効果に名前を付けて、体系を分類し、整理した。そして、3000年も経つうちに、その分類されたものだけが魔法なんだと思い込んでしまった」 ふぅ、と、一つ息を吐く。 「まぁ、そう言ったわけで、今俺が使った、この目の色を変えるってやつも、魔法が使える奴なら――そうだな、ここにいるメンバーではハーネス以外は全員か?――そう難しくなく出来る事だ。ガルバスをローラに変身させたシルヴィとライラなら、集中さえすればすぐに出来るだろ」 「お前・・・いや、あんた・・・貴方は、何者なんだ?」 飄々と言うリュウイに、真顔で、ヴィクトは訊ねた。 なぜ、この男はそんなことを知っているのか。 それは、この場にいる全員の疑問でもあったのだが・・・ 「・・・ま、それはまだノーコメントで」 にやり、とリュウイは口元を歪めて、笑った。 「とにかく、今はもっと大事な事があるだろう? アザリーの記憶を取り戻さなきゃ、手詰まりなんだ。さっきも言ったがショック療法だからな、ライラ、『平静』の魔法をいつでも使えるように集中しててくれ。彼女が取り乱したら、すぐに使えるようにな」 「わ・・・わかりました、わ・・・」 呆然とした様子ながらも、了承したライラに、リュウイは一つ頷いた。 その左目は、妖しく紫色に光っている・・・ 「あ、あのさ・・・やっぱ、まずいと思うんだよね・・・」 「なにがよ」 「い、いや、ほら、勝手に宿屋から出てくるってのは・・・」 「そんなのは私の自由じゃない?」 「で、でも、ヴィクトさんから、宿でじっとしてろって・・・」 「そう言われたのはクーリォちゃんだけでしょ〜? 私は言われてないもの」 「だって、ガ・・・ローラが僕を無理矢理連れ出したんじゃないか・・・」 「ほほー?」 「・・・う゛・・・」 「そゆこと言うわけ? か弱い乙女が、夜道を一人歩きするっていうのに、知らない顔するの?」 「・・・か弱い・・・って・・・」 「大体ねぇ、ヴィクトの言う事は聞くのに、私の言う事を聞かないってのは、どーゆー了見よ?」 「いや・・・無理矢理とはいえ連れてこられたんだし、どっちかと言えばローラの言う事聞いてると思うんだけど・・・」 「言い訳無用〜!!」 ぼすっ! 鈍い音が、夜道に響く。 「ぐぇ!」 という一声を残して、片方の声は沈黙する。 ・・・いや、耳を澄ませば、すすり泣く声が聞こえるかもしれない。 光の街道から、トーランガ側に少し入った林の中である。夢のせいで不機嫌に目が覚め、その上、一人残されていた事を知った(クーリォの存在は無視らしい)ローラが「私も行く!」と、クーリォを引き摺って宿を飛び出したはいいが、適当に彷徨っている内に道に迷った、という状況であった。 「・・・そのくらいで泣くのって、男として情けないと思わない?」 「・・・アバラ折れてると思うんだけど、それでも泣いちゃダメ・・・?」 「惚れた女を守る為だったら、アバラの5本10本盛大に折りなさいよ」 「いや・・・惚れてないし・・・つか、守る必要すらなさそうだし・・・」 「なんですってぇ〜〜〜〜!!」 「あ、いや、その・・・あ!」 不意に声を上げて、クーリォが林の暗闇を指差す。 「ふっふっふ、そぉんな子供だましに引っかかる私じゃなくってよ!」 「い、いや、そうじゃなくて、ホントに・・・ぐぇ!」 とりあえずクーリォのアバラをもう一本へし折って、ようやくローラが指差された方向を見やる。 「あら、だれかいる?」 「・・・だから言ったじゃないかぁ・・・」 溢れる涙をぬぐう気力も湧かずに、涙声でクーリォが訴える。 が、いつものようにそれは聞き流して、ローラはそのうずくまった人影の方へと向かった。 「こんな夜中に、こぉんな場所にいるなんて、怪しいと思わない? ぜったい追いはぎか何かだと思うわ」 「・・・それだと、僕らも追いはぎにな・・・ぐぇ!」 「・・・ふん。まったく、人の揚げ足ばっか取るんだから。・・・ってあら?」 そこで、ようやくローラは気付いた。 「ねぇ、クーリォちゃん。この人、死んでるみたいよ?」 「・・・え?」 |