魔眼 第四十六話


 じくじくと、胸の痛みは続いている。まるでそれは、蛆虫が自分の心臓を這い回り、時に齧り付いている様な、とにかく不快な感覚だった。
 だからといって――アロワードは嘆息した――腰に挿している剣で自分の心臓を貫いても、それは無意味なのだ。
(僕が人間になりたがっている理由は、それなのかもしれない)
 父であるヴラド――ノーライフキング――から受け継いだ、吸血鬼の属性。左目の瞳が紫に染まる以前から、アロワードは周囲の子供とは違っていた。
 ――異常なまでの回復力。
 そして、強く願った事が現実になる、不思議な現象――後に、それが魔法の力である事を知った。
「カリッサ・・・」
 声に出して呟いてみる。
 彼が建てた簡素な墓は、変わらず目の前にあった。
 が、それだけだった。
「カリッサっ!!」
 今まで落ち着いていたのが不思議なほどの、それは激情だった。胸の奥の蛆虫が、数十匹にいきなり増殖したように、耐えがたい痛みがアロワードを襲った。
「カリッサァァァッッ!!!」
 痛みに――そしてそれは、虚しさでもあった――耐えかねて、アロワードはまた絶叫した。
 もう、枯れたものだと思っていた涙が、右目から溢れる。じわり、と、左目に湿った感覚を覚え、アロワードは眼帯をむしりとった。
 カリッサと過ごした日々は、お世辞にも長いとは言えない。それが悲しかった。
 カリッサと心を通わせる事が出来た時間は――沈んだ太陽が、再び昇るよりも短かった。それが、どうしようもなく悲しかった。
「僕は・・・」
 嗚咽と共に吐き出した。
「・・・怖いんだ、カリッサ・・・君がいない、それでも続く、永遠の人生が」
 アザリーからあの言葉を言われた時――彼女を忘れない為に――アロワードは、忘れる事など出来ないと思っていた。
 しかし。
 彼には、忌まわしい呪いがあった。
 ――永遠の命。
 ・・・それは、いつか必ず、彼女の事を忘れてしまうという、冷酷な事実。
 ただでさえ少ない思い出が、そしてこの胸の痛みが、永い時に風化させられてしまった時。それは、彼女の存在そのものを、アロワード自身が否定したかのような、錯覚。――故の恐怖。
(そうだ・・・)
 アロワードは、はっきりと自覚した。
(僕はただ、死にたいんだ)
 それは、感傷的に「カリッサと共に逝きたい」という様な、単純なものではなかった。いや、言ってみれば、それはもっと単純な感情ではあるのかもしれない。
(カリッサを忘れてしまう前に・・・この悲しみを、偽物にしないために・・・)
 この激情が、いつか忘れてしまう感情であると認めるのが、アロワードは怖かった。許せなかったのである。
「・・・ははは・・・」
 笑いが、漏れた。
 ずくん・・・右目が疼く。
(だめだ・・・ここでは・・・カリッサの前では、もうあんな・・・あの時の僕になりたくはない)
 ずくん・・・それでも、右目は疼く。彼の悲しみが、彼を楽な道へと、いざなうかの様に。
 すらり、と、泣きながら、笑いながら、彼は腰の帯剣を抜いた。
 馬鹿げた事をしていると、彼自身分かっていながら――それでも、そうせずにはいられなかったのだ――アロワードは、その剣を自分の腹に突き立てた。
 そして、彼は知った。
「死ぬほどの痛み」など、「残された痛み」に比べれば、些細なものでしかないということを。


「ちょっ・・・と・・・リュウイ、あなた、その瞳!?」
 思わずこぼれたシルヴィの声は、驚きと恐怖の入り混じったものだった。
 彼女だけではない、この場にいる全員が――アザリーを除いて――リュウイを凝視していた。
「大丈夫、取り乱さないでくれ・・・ショック療法ってヤツだ」
 嘆息と共に、リュウイは答えた。
「アロワード」という名前に、アザリーはまったく反応しなかった。
 彼女自身が、アロワードの泊まっていた宿屋の女将に、ガルシアの死は正当防衛だと説明しに行ったはずなのに、である。
(記憶が消されているのは、確かなんだ)
 イライラと、リュウイは推測する。
(記憶を消すってことは、あの坊やにとって、不都合な事が何かしらあるってことじゃないか!!)
 リュウイの推理は――単純だからこそ、最悪なルートへと向かっていく。
 死んだ盗賊、そして、消えた女戦士。
 この、アザリーが泊まっている宿の主人は、アザリーが「村人が消える事件の解決」を請けた、と言っていた。
 それなのに、この魔術師は、その事さえも忘れている。
 何もかもが、リュウイの推理を正しいと告げているような気がする――ただ一つを除いて。
 寝室の鏡を見つめながら、瞳の色を調節する。
 アザリーには、隣の居間で待ってもらっていた。
 宿の借主を居間に残し、寝室に入る(しかも、女性の、である)のに抵抗を感じたのは事実だが、事が事なだけに「神の手」の威を借りて強行した。
「・・・こんなものかな」
「いや・・・リュウイ、お前・・・」
 ごくり、と唾を飲み込んで、ヴィクトが言う。
「安心しろって。俺はヴァンパイアじゃない。目の色をちょこっと変えただけだ。こんな事は、シルヴィにもライラにも出来る事さ」
「え・・・?」
 リュウイの言葉に、言われた当の二人が驚く。
(まぁ・・・当然か・・・)
 そう思いながらも、リュウイは簡単に説明する事にした。
「魔法ってのはな、意志の力だ。万物の中に潜んでいる魔力を、意思によって変質させ、実体化させる。これは分かるな?」
「え・・・ええ・・・」
 戸惑いながら、ライラが頷く。
 そんな事は、魔法学の初歩の初歩だ。彼女ほどの使い手が今更説明される言葉でもない。
 が、リュウイは構わず説明を続けた。
「だから、得手不得手はあっても、ライラだって攻撃魔法は使えるし、シルヴィが回復魔法を使う事も出来る。これは、白魔法も黒魔法も、根本は同じものだからだ。ただ、人それぞれの性格、想像力、トラウマなんかが影響して、使える魔法が異なってくる。例えば、ライラは人を傷付ける事を極端に嫌う性格だから、攻撃魔法を使おうとしても、相手を殺してしまう事が怖かったりして、イメージにブレーキがかかる。だから、黒魔法は苦手だ」
「う・・・」
 図星を突かれたのか、ライラがうめく。
「逆に、シルヴィは相手を殺す覚悟もあるし、いざと言う時には巧く攻撃力を制御できる自信もある。が、恐らく回復魔法を使おうとしても、イメージが湧きにくいんだろうな。もしかしたら、過去に回復魔法で大きな失敗でもしたのかも知れんが」
「・・・・・・」
 その言葉に、シルヴィはギョッとした表情でリュウイの顔を見返した。
 それを、チラッと一瞥しただけで、リュウイはまた口を開いた。
「本来、魔法てのは、ほぼ万能の力なんだ。だが『神の降臨』直後、魔法が誕生したばかりの時、万能だからこそ、魔法による事故が多発した。これはもう、ほとんど忘れられてる事なんだけどな。今でも良くあるだろう? 子供の神隠しってヤツが。もちろん、全部が全部魔法の事故だって訳じゃないだろうが、アレな、半分くらいは、子供が自分で消えちまうんだよ」
「どういう・・・ことです?」
 ハーネスが、神妙な顔で聞いてくる。
「子供が神隠しに会う時、よく聞く話がないか?」
 リュウイは、逆に聞き返した。
 困惑したように、それでも、ハーネスは少し考えると、自信なさげに答えた。
「あの、子供がいなくなった家に、ユニコーンやペガサスなどが良く現れるようになる・・・って話ですか?」  それは、ウラジア大陸全土でよく聞く迷信だった。
 子供が突然消えてしまった家族を心配し、神が神獣を遣わし、家族の様子を見てこさせるのだと。
 実際に、頻繁にそのような事が起こるため、この話は迷信と言うよりも、事実として、ほとんどの者が受け止めている。
「・・・まさかっ!?」
 不意に、ヴィクトが声を上げた。何かを思いついた――いや、思いついてしまったか、の様に。
「その、まさか、なんだよ。子供の純粋な憧れの気持ち、溢れる想像力。それが、ある一定の域まで達してしまった時、何が起こるか」
 淡々としたそのリュウイの言葉に、ぞっとした表情でハーネスがうめく。
「でも・・・変身できるほどの力があるのなら、元に戻ることだって・・・」
「ああ、可能な場合もある。が、考えても見ろ、いきなり、何の知識もない子供が変身しちまった時、平静でいられると思うか?」
 魔法を使う時の一番の条件は、落ち着いている事、である。
「大抵の子供は、パニックに陥る。色々と試すものもいるかもしれないが、無意識の時よりも、変身する事を意識した時の方が、実は集中ってのは難しい。大半は、そのうち諦める。・・・だが、ユニコーンやらに変身した子供ってのは、まだ幸せな方なんだ」
「どういう意味?」
 食って掛かるように、シルヴィが尋ねた。
 どうも、先ほどの指摘がまずかったかな、と、内心苦笑しながら、リュウイは答えた。
「その強さに憧れて、猛獣や魔獣に変身してしまった子供たちは、どう思われるか、って話さ。子供が突然いなくなった。片や、突然猛獣や魔獣が現れた。――あの子は、こいつに食われてしまったに違いない」
「な・・・」
 ヴィクトは、その内容の凄まじさに、絶句した。
「・・・あー・・・」
 ぽりぽりと頭を掻いて、リュウイは言った。
「話がズレちまったな。とにかく、魔法が使われ始めた当初、事故がとても多かった。だから、人間は自ら限定したんだ。使う魔法ってのをな。効果に名前を付けて、体系を分類し、整理した。そして、3000年も経つうちに、その分類されたものだけが魔法なんだと思い込んでしまった」
 ふぅ、と、一つ息を吐く。
「まぁ、そう言ったわけで、今俺が使った、この目の色を変えるってやつも、魔法が使える奴なら――そうだな、ここにいるメンバーではハーネス以外は全員か?――そう難しくなく出来る事だ。ガルバスをローラに変身させたシルヴィとライラなら、集中さえすればすぐに出来るだろ」
「お前・・・いや、あんた・・・貴方は、何者なんだ?」
 飄々と言うリュウイに、真顔で、ヴィクトは訊ねた。
 なぜ、この男はそんなことを知っているのか。
 それは、この場にいる全員の疑問でもあったのだが・・・
「・・・ま、それはまだノーコメントで」
 にやり、とリュウイは口元を歪めて、笑った。
「とにかく、今はもっと大事な事があるだろう? アザリーの記憶を取り戻さなきゃ、手詰まりなんだ。さっきも言ったがショック療法だからな、ライラ、『平静』の魔法をいつでも使えるように集中しててくれ。彼女が取り乱したら、すぐに使えるようにな」
「わ・・・わかりました、わ・・・」
 呆然とした様子ながらも、了承したライラに、リュウイは一つ頷いた。
 その左目は、妖しく紫色に光っている・・・


「あ、あのさ・・・やっぱ、まずいと思うんだよね・・・」
「なにがよ」
「い、いや、ほら、勝手に宿屋から出てくるってのは・・・」
「そんなのは私の自由じゃない?」
「で、でも、ヴィクトさんから、宿でじっとしてろって・・・」
「そう言われたのはクーリォちゃんだけでしょ〜? 私は言われてないもの」
「だって、ガ・・・ローラが僕を無理矢理連れ出したんじゃないか・・・」
「ほほー?」
「・・・う゛・・・」
「そゆこと言うわけ? か弱い乙女が、夜道を一人歩きするっていうのに、知らない顔するの?」
「・・・か弱い・・・って・・・」
「大体ねぇ、ヴィクトの言う事は聞くのに、私の言う事を聞かないってのは、どーゆー了見よ?」
「いや・・・無理矢理とはいえ連れてこられたんだし、どっちかと言えばローラの言う事聞いてると思うんだけど・・・」
「言い訳無用〜!!」
 ぼすっ!
 鈍い音が、夜道に響く。
「ぐぇ!」
 という一声を残して、片方の声は沈黙する。
 ・・・いや、耳を澄ませば、すすり泣く声が聞こえるかもしれない。
 光の街道から、トーランガ側に少し入った林の中である。夢のせいで不機嫌に目が覚め、その上、一人残されていた事を知った(クーリォの存在は無視らしい)ローラが「私も行く!」と、クーリォを引き摺って宿を飛び出したはいいが、適当に彷徨っている内に道に迷った、という状況であった。
「・・・そのくらいで泣くのって、男として情けないと思わない?」
「・・・アバラ折れてると思うんだけど、それでも泣いちゃダメ・・・?」
「惚れた女を守る為だったら、アバラの5本10本盛大に折りなさいよ」
「いや・・・惚れてないし・・・つか、守る必要すらなさそうだし・・・」
「なんですってぇ〜〜〜〜!!」
「あ、いや、その・・・あ!」
 不意に声を上げて、クーリォが林の暗闇を指差す。
「ふっふっふ、そぉんな子供だましに引っかかる私じゃなくってよ!」
「い、いや、そうじゃなくて、ホントに・・・ぐぇ!」
 とりあえずクーリォのアバラをもう一本へし折って、ようやくローラが指差された方向を見やる。
「あら、だれかいる?」
「・・・だから言ったじゃないかぁ・・・」
 溢れる涙をぬぐう気力も湧かずに、涙声でクーリォが訴える。
 が、いつものようにそれは聞き流して、ローラはそのうずくまった人影の方へと向かった。
「こんな夜中に、こぉんな場所にいるなんて、怪しいと思わない? ぜったい追いはぎか何かだと思うわ」
「・・・それだと、僕らも追いはぎにな・・・ぐぇ!」
「・・・ふん。まったく、人の揚げ足ばっか取るんだから。・・・ってあら?」
 そこで、ようやくローラは気付いた。
「ねぇ、クーリォちゃん。この人、死んでるみたいよ?」
「・・・え?」

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