うぅ・・・視線が痛い・・・ クラス中の男子の視線が、僕に集中しているのは・・・多分、気のせいじゃないと思う。 明らかに敵意を感じる、鋭い視線だ。 「誤解だって言ってるのに・・・はぁ・・・」 溜め息の最高回数記録を、着々と更新しながら、僕は思い出していた。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ にやり、というか、ひくっ、というか。 藍田の口元が、なんとも形容しがたい感じに引き攣った。 「と・・・とうとう、あ〜るも・・・?」 ――まづい。 このクラスで「リナ」という名詞を使えば、誰もがそれは北沢さんのことだと解釈してしまう事は、明らかだ。 もちつけ・・・もとい、落ち着け、僕っ! こんな時にあの掲示板でしか通用しない言葉を使っている場合でわないっ! とかく、真っ白になりがちな脳みそを、フルパワーで回転させる。 状況を整理しよう、うん。 藍田は僕にエロ本を薦めた。 ↓ 僕はそれを、見慣れているから、と、断ってしまった。 ↓ 藍田はさらに薦めてきた。 ↓ 僕は「リナ」の裸にしか興味はない、と、つい口走った。 よし、状況の整理は出来た。 つまり、僕の発言は「北沢さんの裸にしか興味がない」と、クラスのみんなには聞こえたはずだ。えらい事である。困ったもんだ。 続いて、現状の誤解を、どうすれば回避できるか。 どうすれば・・・えーと・・・ ・・・誰か教えてくださいっ! 結論。 誤解を解くのは、ほぼ不可能です。うがぁっ! この結論に到達するまで、0.03秒。 どこぞの宇宙刑事も真っ青の早業である。 「・・・な、なにが?」 そして、僕の口からこぼれ出たのは、あまりにも曖昧な誤魔化しの言葉。あははは・・・ こうなったら、とことんシラバックレルシカナイネー。HAHAHA・・・ 頭の中で、変な外人チックに壊れた笑い声をあげている僕に、藍田の言葉の続きが投げかけられた。 「いやぁ・・・うん、めでたい!」 ・・・え? なんで? 「樹里、樹里っ!」 「うんうん、私も聞いたーっ!!」 ちょ・・・な、なに? 何で盛り上がってるの!? 予想外の――いや、想定外って言った方が今風なのか。って、そんなことはどうでもいいや――二人の反応に、戸惑いというか、ぶっちゃけ大混乱に陥る僕。 「うんうん、いやー、そうだよな? 不思議だったんだよ、俺は。やっとかっ! いやー、めでたい」 「あ、あの・・・なにが?」 「あはぁん♪ あ〜るったら照れちゃってぇ♪ 大丈夫よっ! 後はもう、流れに乗って、そのまま突き進めばいいんだからっ!!」 いつのまにか、北沢さんをほっぽって、藍田のとなり(つまり、僕の目の前だ)に瞬間移動してきた麻生さんが、なんだかよく意味のわからない事をまくしたてる。あまつさえ、僕のおでこを人差し指でちょんと突付いたりする。なんだこれは? 「そうだ、大丈夫だぞ、あ〜る。お前が今まであんなだったから、みんなが変に期待してただけなんだ。こうなったらお前、誰もお前に敵わないっ! ゆーあーちゃんぴおんだっ!」 「そうそうっ! うるさいヤツラは、あたしが蹴り殺してやるんだからっ!! 頑張れあ〜るっ!!」 「おお、樹里の蹴りは馬並みだからな、ばっちしだ!・・・いてっ、ごめ、マジで痛いから許して」 「ふっ、インハイ仕込みの蹴り、我ながら素晴らしい威力だわ」 「・・・馬女・・・ぎゃーっ!」 ・・・せんせー。 二人が何を話しているのか、僕にはまるっきり理解できません・・・ よく分からんが、とにかく二人は喜んでいるようである。なんでだろう? 僕の言葉が、違うふうに聞こえたのかな? ぼそぼそと喋るクセが抜けない僕は、よく、言った言葉を間違って受け取られる事がある。 ・・・うん、きっとそうだ。そういう事にしとけ。よかったよかった、あっはっは。 しかし、それはそれで疑問である。 いったい、どう聞こえたら喜ばれた上に、応援までされるほど盛り上がるのだろう? りなにしか・・・理科にしか興味がない? これじゃタダの理系ガリ勉である。応援される事はあるかもしれないが、喜ばれる事はあんまりないだろう。 りーなー・・・インナーにしか興味がない? って、それって北沢さんの裸にしか興味がないよりも、普通はずっとランクが下だよな。変態丸出しじゃないか。うーん、これも違う・・・ ・・・と。 ゾクリ、と背中を駆け上がってきた不快感に、僕は身震いした。 ――なんだっ!? こころもちシリアスな気分になって、僕は、ばっ、と教室を見回した。 ・・・・・・うゎ・・・・・・ そこに見えたのは、恐るべき風景だった。 ――ギンっ、と、張り詰めた空気。 そして、僕の目に飛び込んできたのは・・・クラスの男子生徒、全員の――そう、なんだかまだ盛り上がってる藍田を除いて、全員が、だ――ギラついた怒りの視線であった。 ・・・視線をですね、こう、追っていくとですね・・・全部、僕に突き刺さってますね・・・えーと・・・その・・・尋常じゃなく恐いんですけど・・・ ガラガラ・・・ 「はーい、授業始めますよ〜」 チャイムからちょっと遅れて、数学の清松先生が入ってきたのは、その時だった。 「おっと、せんせー来ちゃったか。頑張れよ、あ〜る!」 「頑張ってね、あ〜る!!」 それを合図に、異口同音を放って、自分の席に戻る藍田と麻生さん。 麻生さんは、席に戻る時に、なにやら北沢さんにガッツポーズをして見せ――ん?――その仕草に、北沢さんは何故か、顔を赤らめて、うつむいている・・・? って、うわぁ!? な、なんだか、男子の視線の威力が増したような!? そ、そうか、そうだよな・・・藍田と麻生さんは、僕の言葉を聞き間違えたんだろうけど、他の連中にはしっかり聞こえたんだよな。 ・・・あっ! そ、それって、北沢さんにも聞こえてるよね、当然・・・? そして、もちろん彼女も、僕の言葉は、他のみんなと同じ解釈をしたわけで・・・やっべー・・・ そりゃ、恥ずかしいよね。僕が言った言葉で、彼女が恥ずかしがって、それを見た男子諸君は「てめぇあ〜る! なに北沢さん恥ずかしがらせて困らせてんだコノヤロー、ぶっ殺すっ!」的な気分になるわけで。 ・・・はっはっは。 次の休み時間、僕、死んじゃうかもしれない・・・遺言でも書いとこう。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ところが。 今はもう6時限目である。 何故か僕は、まだ生きていた。びば、まいらいふ。 視線だけは、相変わらず僕に突き刺さっている。凄く痛い。 でも、直接僕に危害を加えようとするヤツは、今のところ出現していない。余計恐いけど。 圧巻は、昼食後の昼休みだった。 誰かが、今朝の話を他のクラスにも広めてしまったらしい。 その結果、何が起こったかというと。 ・・・昼休み中ずっと、廊下から、無数の男子生徒のギラついた視線を受けるハメになりました。 明らかにあの瞬間、廊下の床にかかっていた比重は、ものすごい重さだったに違いない。この学校の設計士も、建築会社も、耐震偽装をしていなかったのだ。えらいえらい。 「・・・はぁ・・・」 溜め息が出る。 ・・・出してもいいよね? 僕の今日の不幸は、ただものじゃないと自分でも思う。 もうすぐ、6時限目が終わる。もちろん、内容なんかはまったく頭に入っていない。 ちゃんと家に帰れるのだろうか・・・帰ったとして、年表作りもしなくちゃいけない。 「・・・はぁ・・・今日はリナに会うの、諦めるか」 ぼそりとつぶや・・・あ゛。 ぎらぎらぎらっ!! うぅ、視線が強くなったよ、ママン・・・ 恐る恐る振り返ると・・・うわ、泣いてるヤツまでいる。そこまで僕が憎いか・・・ごめんってば・・・でも、誤解だよ? っていうか、まずこの誤解を解くべきだと思うんだよ、うん。 もう、正直にぶっちゃけてしまった方が早いよな。 きっと、思いっきり軽蔑されるだろうけど・・・うん、殺されるよりはマシだろう。 よし、決めた! 卒業するまで、みんなから軽蔑されても構わない! 全部言ってしまおう! 「リナは女神だって、うん」 ・・・ざわっ・・・ ・・・あれ? ・・・また僕、なにかトンでもない事を口走った? 僕は、もう一度、恐る恐る背後を振り返ってみた――ちなみに、僕の席は一番前の、一番廊下側である。 教室は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。少なくとも、僕にはそう思えた。 女子は、近くの女子と奇妙なテレパシーで目線を交し合い、なんだかキャーキャー(もちろん、授業中なので小声で)騒いでいる。 それは、まだいい。 問題は男子である。 相変わらず僕を睨み付けているもの。 睨み付けながら、しくしくと泣いているもの。とても器用だ。 ぶつぶつと何事か呪詛を呟きながら、自分のカバンを黙々と殴っているもの。 べき、べき、と、鉛筆を指で折っているもの。凄い威力だ。もちろん、視線の先には僕がいる。困ったもんだ。 笑い転げているもの・・・あ、これは藍田だけだ。 とにかく、教室はいつもの風景を失ってしまっていた。 断言しよう。 ・・・僕、やっぱり今日は無事に家に帰れそうにない。 きーん、こーん、かーん、こーん・・・ 僕の人生で、最期に聞く事になるであろうチャイムが、鳴った。 6時限目は英語の授業で、担当は担任の安田先生だ。 毎週水曜日のウチのクラスの流れで、だいたいホームルームは省略される。 「ん、今日はここまでにしましょうか。なんだか、今日は随分雰囲気が違った気がしたけど・・・みんな、気を付けて帰るのよ?」 そーですよねー、気付かないはずがありませんよねー。 でもね、先生。今日、僕はどんなに気を付けていても、生きては帰れないんですよ。 ・・・っとと。 悲観していても仕方がない。 まずは、無駄な努力でもしてみますか。 みんなが納得したとしても、その瞬間から僕は、下劣な変態野郎の汚名をかぶる事になるんだけど。しくしく。 異様な雰囲気のまま、帰り支度を進めるクラスメイトに向かって、僕が全てを告白しようと、口を開いたその瞬間。 「あの・・・」 「田中君っ!」 うぉわっ!? 急に呼ばれて、僕は飛び上がった。 びっくりして、声の方を見ると・・・北沢さんだった。 ・・・そ、そうか、まずは北沢さんに謝らないと。僕のせいで、今日一日、ずっと嫌な気分だっただろうし。 「あ、き、北沢さん、その・・・」 だがしかし、急に発言の方向転換をしたために、言葉が巧くまとまらないのであった。 すると、僕のそのしどろもどろな言葉を聞いた北沢さんは、一瞬眉をひそめ――変な話だけど、ちょっと悲しそうで、それがまた、凄く綺麗に見えた――視線を一旦、床に下げた。 ・・・あ、これは、ビンタされるかな? そう思った。 そのくらい、彼女を傷付けちゃっただろうし、汚い感情だけど、それで男子たちの不満が消えてくれるなら、それが楽かもしれないな、とも思ってしまった。 ・・・しかし。 彼女の次の言葉は、そんな僕の甘い考えを打ちのめす程の威力をもっていた。 「あの・・・あのね?」 「う、うん・・・」 「・・・いっしょに、かえろ?」 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・ ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!!? |